Archive for September 2006

29 September

命の問題



革をやっている人が、一度は考えないといけないのが、その素材となった生き物の命ではないでしょうか。
僕の回りでも、全く考えていない人も居れば、その「命」を引き受けられずに辞めていった人も居ます。
そして僕も含めて、大多数の人は、結論を先延ばしにして、分かってはいるのだけれど、どこかでその命を・・・忘れる?・・・いや、何となく、見ないようにして、やり過ごしている様に思います。
僕にとって、今、まさにそれを考えなくてはならない時であるようです。

前から日記を読んでおられる方はご存知の通り(笑)、僕の最近の関心事といえば、脳漿鞣しの革と、熊。

脳漿鞣しに興味を持ったキッカケは、単に今まで使ってた「よくワカランけど良い」革が手に入らなくなったので、代替品を探しての事でしたが、突き詰めていくと、この見ようとしていなかった「命」の問題に突き当たりました。今、アメリカから入れている革は、「誰が、どういう状態で殺した、どういう革で、誰がどうやって鞣したか」がすべて分かります。
ただ、それは僕がお客様に出すにあたっての安心感というだけで、やはり「命」の問題を人(狩人、解体人、鞣し人)に押し付けて、自分自身で正視しようとしていない部分もありました。

そんな時に、例の「熊の足形ポーチ」を作るにあたって熊を知る必要から調べ物をしていて、すっかり熊に魅せられました。そこからアイヌの伝承、マタギの民俗誌等の書籍を読みふけるうちに、気付けばまた、「命」の問題の前に進み出ていました。しかも今度はマタギなだけに(笑)、命に相対する格好です。神様は僕に余程、命を考えさせたいのでしょう。今度ばかりは逃げれません。

僕は雪山で遭難した事もある位、山が好きで、今思うと結構大きな熊と遭遇したこともあります。
ーちょっと脱線しますが、その際は熊の方から逃げてくれました。僕は恐怖で凍り付いていただけなのですが(笑)、本によると、どうもそれが非常に良かった様です。みなさん、熊に会ったら、凍り付きましょう(笑)ー
今まで僕は、里に降りてきた熊を有害駆除するアレが非常に嫌いで、奥山放獣論派でした。が、熊の習性を詳しく知っていくと、殆どの場合、効果がない事、非常に危険な事であること、を悟りました。

ミクシの中の猟友会を批判するコミュニティーに、こんな書き込みを発見しました。

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>クマに襲われたくなければ引っ越せばいいじゃないですか。人間は引っ越しても生きていけるけど、クマはそこでしか生きていけないのでしょう。だいたい仕事の都合だか何だか知らないけどそんなとこに住んでるならクマに襲われるくらい覚悟しとけって話。しかも軽症ですんだんでしょ。
自分でコケて大怪我したって誰も騒がないのに、クマのせいになるとどうしてここまで問題になるの?意味がわからない。
しかも親子で人里に現れるなんて、クマもよっぽど困ってたんだろうよ。クマの立場でその状況を考えるとかわいそうで仕方ない。
それでクマが殺させる理由がよくわからないのですが…。無理やり理由をこじつけて、団体が動物虐殺を楽しもうとしてるようにしか思えない。皆さんどう思われますか?

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気持ちは分かります。ものすごく分かります。でも、熊の事を詳しく知った今では、この書き込み、悲しかった。勿論、中にはレジャー・ハンティングな方も居るかもしれません。でも猟友会のメンバーは好きで熊の駆除をしているわけではありません。
また、「引っ越せ」との事ですが、本来熊は「里山近くが好きな動物」で奥山を好む動物では無いそうです。人が怖いから奥山に居るだけで。なので、例え村人全員で引っ越して、山と里との臨界線が変わっても、この熊が里に出て来る問題は、山が杉林ばかりである以上、無くならないという事(次の臨界線の村に出て来る)です。

テレビニュース等のメディアは、よく調べもしないで、一般視聴者が飛びつきやすい「可哀想的な側面」をクローズアップしています。しかし、この事に関しては、当事者では無い僕の意見は説得力を持ちません。ですので、詳しく知りたい方は、この本を読んでみて下さい。
「クマにあったらどうするか?アイヌ民族最後の狩人姉崎等」



熊の話で大分論趣が逸れましたが(笑)、ミクシのマタギのコミュニティーで、実際に熊猟をされている方を知り、マイミクになって頂きました。その方の日記等を読んでいると、もう本当、僕みたいな、こうした机上の空論、活字の上での話、とかではまったくなくて、重さが違うんですよ。知り合って数日ですが、もうすでに何か非常に大きな物を頂いてしまったように思います。

あ、そして、実質的に非常に大きなものを頂く事になりそうです(笑)。なんやと思います?
生の(鞣していない)熊の毛皮。駆除された熊です。脳漿鞣しの勉強をしていたのが、ここでも繋がりました(笑)。鞣し自体が未体験なのですが、供養をさせて頂く積もりで、頂こうと考えてます。

僕にとって、始まったばかりの「命の問題」ですが、きっと今、逃げずに取り組みなさいということだと思います。ここを通過することが、細工師として、ひとつの大きな峠越えになりそうです。

あ、これってあくまで細工師としての自分自身の問題なので、持って頂く人に「鹿革のポーチを持つなら、鹿肉を食うべきだ」なんてこと言いだしませんので、ご安心下さい(笑)。
あくまで、心から安心出来る物を世に出したいだけですので。。。




12:11:47 | hilo | No comments |

27 September

父と結婚記念日



結婚式を挙げたホテルが、結婚一周年を祝ってディナーに招待してくれた。
男性はジャケット着用とのことだ。こういうの、久しぶりだな。






このホテルからは、海上に浮かぶ実家が見えたりする。

左を見れば工房がある山が見えたりする(笑)


当初、結婚式はごく身近な人だけを呼んで、小さくするつもりだった。でも、配偶者は若い女の子なもんで、やっぱり結婚式に対する期待とかも大きいのが、言わなくてもヒシヒシと滲み出て・・・いや、かなり言われたので(笑)、色々な良い会場も見に行く様になった。で、やっぱり安く挙げたかったので、地元の神社とか色々と見たんだけど、普通に式を挙げようと思うと、案外どこでも金額がそう変わらないものだというのが分かった。で、もうそんな大差ないのなら、思い切って神戸で一番と目されているホテルで挙げてやれ!ここなら文句無いだろう!となかばヤケになってきめたようなところがあった。でも実際に式へと向かって打ち合わせが進むにつれ、やっぱりここにして良かったなあと思った。それぞれのもてなしに、本当に心があった。

結婚式の少し前、車でハーバー・ハイウェイを走っていて、このホテルの前を通った時、10年前に死んだ父と、このホテルが出来てすぐ位の時に、同じこの道を車で走っていて、「いつか宏顕も、こんなところで結婚式を挙げれるようになったらいいなあ」と自分自身の夢の様に言われた事を思い出した。

結婚なんて相当先、もしかしたら出来ないかもなって諦めかけていたのが、あるキッカケから障害がどんどん取り除かれて行き、突然機関車が走り始めたかの様に、障害をなぎ倒して行き、そしてこの機関車はこのホテルの前で停まり、ブライダル・サロンへと送り出された。手すりにつかまっているのに必死で、よく見えなかったけど、僕らを送り出した車掌は、父だったように思う。

子供の頃、父が誇りだった。造船、貿易が仕事だった父が、小樽に出張に行った時に買ってきてくれた青函連絡船の下敷きが宝物だった。いじめっ子に割られるまで。
幼い僕を新幹線に乗せようと、新神戸から姫路までこだまに乗って、その時に撮ってくれた「こだま」の写真が、宝物だった。それもいじめっ子にトイレに捨てられたけど(笑)

やがて中学になり、いじめられっ子だった僕が、いじめっ子達を引き連れる様になった頃から、結局死ぬまで、父には心を開かなかった様に思う。あれだけ自分を愛してくれた人を裏切ってしまってそのままだったことが、思いだせない程の心の傷で居続けている。

心から愛して守っていたものに裏切られた父の気持ちを考えると、消えてなくなりたくなる程、今でも僕は自分を責め続けている。誰に「もうお父さんも許してると思うよ」と言われても、それは変わらない。恐らく一生背負い続けるだろう。それは、僕が父を、本当は誰よりも愛していたからだ。

昨夜、ホテルでの夜、父の夢を見た。
死んでから初めて、僕の方から笑って父に微笑みかける事が出来た。






20:13:02 | hilo | No comments |

25 September

結婚記念日



一年が経ってしまいました(笑)
もう新婚ではないですかね?
この一年、本当に色々ありました。今日も大げんかしたし(笑)
思えば、結婚前、配偶者は強烈なマリッジブルーで(これだけひどいのも珍しいというレベルだったようです)、最後まで本当に結婚できるのか分からなかったような有様で、だから結局婚姻届を出しに行くのにもすごくもめました。
僕は確かにサラリーマンのように給料が安定している訳ではないし、最大限の努力はするけど、お金に関しては苦労かけることもあるかとは思って、それが負い目といえば負い目だったのですが、でも誰に恥じること無く、常に謙虚に自分を磨いて生きてきたので、それで不満なんならイイヨ。公務員とでも結婚しなよ。てな感じで。
今は金がすべての世の中、愛情は金の後、という風潮で、それが時代の道徳にもなっているので、配偶者も周りを見ていて、色々考えるところもあったのではないでしょうか。あの頃は本当に辛かった。体重もゴソっと落ちて、白髪も大分出ましたね。
でもそんなときに「いやあ、岡居君、それは分かるで。やっぱり親元を出ていくんだから」といって既婚者の友達達に励ましてもらったの、今でも忘れません。その言葉が救いになって、結婚後も来たと思います。「いつか分かってくれるだろう」ってね。
思えば大多数の女性は、名字も変わって家から出て行くわけですからね。
でも、そうやって理解してあげることが出来てからも、本当に大変でした。式を挙げてからも、生活習慣の違いでいちいちぶつかって、僕自身も、「こんなにつらいのなら、別れた方がいい」って何度も真剣に考えたし、怒りジワっていうのが顔に出ました。
このブログで配偶者とのやりとりをおもしろ可笑しく書いていましたが、ハッキリ言って、この一年は笑いよりも、苦しみの方が多かった。

それでもやっぱりね、愛し合っているんですよ。お互い、これだけ今は辛くても、その先を信じられる位。
そんな風にしてね、やっと絆を生み出すことが出来ました。これからもけんかすることも多いと思いますが、僕らはもう大丈夫。

ここに至るまで、本当に多くの方から励ましを受けました。また迷惑もかけました。本当にすいませんでした。そしてありがとうございました。これからも、どうかよろしくお願い申し上げます。




19:21:42 | hilo | No comments |

24 September

熊熱、その後。。。



ちょっと前に熊の足跡について書きましたが、あれ以来、熊に魅せられています。熊に興味を持ったのは、あのポーチからだと思ってましたが、ちょっと前にミクシで書いた日記なんかを読んでいると、それよりちょっと以前にキッカケがあったのが分かります。面白いもんですね。これだけキッカケのようなものがチョコチョコと続いて、一つの方向に向かされている所をみると、きっとその先に向かうのが運命づけられているんだと思うんですよね。
その先・・・・何なんだろ?(笑)

それにしてもね、ちょっと最近、マタギ(クマ猟師)関連の本、買い過ぎです。昨日は「第十四世マタギー松橋時幸一代記」甲斐崎圭。古本で250円を購入。今日は、「秋田マタギ聞書」武藤鉄城。同じく古本で1800円。今読んでいるのは「クマにあったらどうするか?アイヌ民族最後の狩人姉崎等」。一冊一冊が安くとも、続くと結構な出費ですからね。

本土では、マタギは秋田が有名。民謡も秋田。ああ、秋田いいなあ。

秋田に行くなら冬に二泊で。民謡酒場で地酒を飲みながら、舞台化していない労働唄を聞いてね。出来れば小野花子さんのがいいなあ。外出たら吹雪ですよ。ランチコートの襟を立ててね。その民謡酒場の近くの宿でいいなあ。二泊めはね、先程書いた本の人、松橋時幸さんが旅館を経営されているので、そこなんか泊まれたら最高だろうなあ。。。。

どなたか!秋田にウチのもの扱ってくれそうな、良いお店知りませんか!?(笑)

写真は、喉から手が出る程欲しい、野沢博美写真集「鷹匠」より。







21:12:24 | hilo | 17 comments |

22 September

イタリアン・グラス・ビーズ



法事に行ってきました。帰りがけ、海の傍。暮れて行く空。山に住んでいるので、普段空を大きく見る事が無いので、これだけ大きく見えると、ちょっと感動してしまう。でもこれでもラコタには比べようも無いな。



奇麗な夕映えも好きだけど、こういう渋い、今から寒くなるんだぞっていう色調も好きだ。


イタリアのヴェネチアン・グラス・ビーズの第一弾の入荷があった。
普段仕事で使っているのは、インディアンのビーズ細工で一番ポピュラーなチェコ製のボヘミアン・グラス・ビーズ。色数も多く、大きさや色調も割合に安定している。

では、ちょっとここで、ビーズ細工の「材料」の一つであるビーズに関して簡単に解説を。

 シード・ビーズといわれる小さなビーズを使う、所謂ビーズ細工が、平原族の間で一般的になってきたのは1840年頃。最初はヴェネチアン・グラス・ビーズがヨーロッパ人によって持ち込まれ、続いて1860年頃からチェコ製のボヘミアン・グラス・ビーズが入ってきた。ボヘミア・ビーズは種類も色数も豊富だった為、平原族のビーズ細工も、新しいタイプのビーズが入って来る度に、高度に発展して行った。当時の平原族のビーズ細工は、ビーズのタイプや色目で、大体どれくらいの時期に作られたものかが分かる。
 現在、インディアン達がビーズ細工に最もよく用いているのはボヘミア・ビーズ。理由は、供給が安定していて、ヴェネチアンに比べて安い事。また、色数が豊富で、工場でのロットが違っても、割合大きさや形が安定している為である。対するヴェネチアンは人件費等の問題で、儲からないシード・ビーズ製作から手を引く工場が多く、現在では手がける工場が殆ど残っていない。いきおい、値段も高価であり、工場も大きな設備を設けていないので、大きさや色のばらつきも凄まじく、それ以上に供給が安定していない。
  さて、ヴェネチアンとボヘミアンの違いだが、ボヘミアンはヴェネチアンに比べて、ハッキリとした混ざり気の無い、少し暗めのトーンで、青みがかる傾向がある。ヴェネチアンは色彩に混じり気があり、それ故に深みのある柔らかな発色である。アンティークのヴェネチアンは無比な深みを持つが、現代物はボヘミアンと差が無くなってきている。
 
てな感じですね。ヴェネチアンはボヘミアンに比べて高価なんですが、色の深みに負けて、しかも更に高価なアンティークを仕入れてしまいました。あ!配偶者がツノを出している!(笑)
で、実際に材料として、こうして見てみると・・・・・う〜ん。正直、今のボヘミアンとそんな変わらないですね(笑)。
それだけ、チェコ(ボヘミアン)の職人が勉強しているってことですね。

まあ、ヴェネチアンは完全な自己満足になりそうだけど、ここぞ!って言う時に使おうと思います。
え〜、チェコでええやん、って感じに使ってしまうのが、一番恥ずかしいですね。見る人が、「へえ、ヴェネチアン・ビーズってさすがやね!いいね!」って言ってくれる使い方をしないとね。




19:04:42 | hilo | No comments |