Complete text -- "革講座 第二回"

03 November

革講座 第二回



間が開きましたが、10月26日の革講座第一回から引き続いて、第二回。



「脳漿鞣しのウェット・スクレイプ技法とドライ・スクレイプ技法」

結論から言うと、ビーズにはドライスクレイパーで作られた脳漿鞣しの方が良い様だ。
しかも、出来れば最高に上手い人の物より、ちょっと下手な人の物の方が扱いやすい。

これはどういうことかというと、まずはドライとウェットの技法の説明になるのだが、ウェット技法は灰汁等に生皮を漬け込んで、ふやけたことで分離しかかっているFIBER NETWORK層とEPIDRMISとGRAIN層とを、一気に削ぎ落としてしまう方法である。そういった技法故に、FIBER NETWORK層とGRAIN層とのちょうど境界近く、どちらかというとGRAIN層を少し残した辺りで剥がれる。対するドライ技法は、乾いた(とはいっても最初に洗ってから削ぎ始めるので、半乾き)状態で、チリチリとGRAIN層を削って行くので、自然と境界のFIBER NETWORK層寄りを剥ぐ事が多くなる。
ビーズに向いている理由の一つは、まず、このGRAIN層が残っていない事が重要で、これが残っていると、針先は入りやすくても、針尻が抜きにくいということになる。

次に、ウェット技法は脳漿液に漬け込むので、脳漿の溶液が浸透しやすく、非常に柔らかく柔軟な革に仕上がるのだが、ドライ技法は脳漿のペーストを塗り込むので、特に下手な人の物だと、完全には脳漿が浸透せず、一部に硬い層が出来る事が多い。この硬い層は、掬い縫いで入って来た針を上手く裏面まで貫通させずに跳ね返らせ、表皮に浮上するのを助けてくれる。
また、硬い部分があることで、糸のテンションで革自体が変形するというトラブルも防げる。

ウェット技法の柔らか過ぎる革は、細工をしないでドレス等に用いるのには最高だ。その無比の柔らかさは、僕はこれで服を作った事は無いが、着心地の良さを想像するに難く無い。
が、一方では、ビーズ細工にとっては、掬い縫いが難しく、裏までどうしても貫通してしまい、しかも残存Grainで糸尻に引っかかりがあるので、抜く際に革を強く引っ張る事となり、革の変形を招く。クイル細工にとってもやはり扱いにくい革の様で、僕の友人のインディアン達もウェットの脳漿を使うなら、工業鞣しの革の方が良いと言っている。


そこで一つ解けた謎がある。
平原族でドライを使っているのは、ラコタ族等、ごく一部の部族のみである。大多数の平原族はウェット技法だ(ただし、バッファローの毛皮は、ドライ技法)。ラコタの細工を見ていると、裏地を使いたがっていないものが多い。もちろん例外もあり、裏地付けがブームになった時期もあるのだが、一方では、ウェット技法が多く用いられた部族の細工品には、早い時期から裏地を取り付けている物が目立つ。

何故互いに影響を多く与え合った平原族において、ウェット技法とドライ技法とハッキリ分かれているのは、こういうバックがあるからなのか、技法の違いから細工の違いが生まれるのか。
これは僕の憶測だが、後者の場合、ウェット技法とドライ技法とに分かれている理由は、「鹿の違い」が大きく起因しているように思う。
ラコタの居留地で見る鹿は、エルク(アカジカの種類ーCervus系)が多い様に思う。対してウェット技法が多く用いられた、若干山寄りの部族が住んでいた場所では、オジロジカやミュールディア、ブラックテイル等のOdocoileusの系統をよく見る。
アチレアの斉藤さんによると、ニホンジカ(亜種エゾジカ等も含む)は鞣しが非常に難しいとの事。そして、そのニホンジカはエルクに近いCervus系である。
エルクは革が厚いという異論も聞こえてきそうだが、本当に厚いのはFIBER NETWORK層以外の場所ではなかろうか。

以上は机上の空論なのだが、どうもニホンジカはドライ技法なら鞣しやすいのではないだろうか。僕はラコタ文化の継承を心がけているので、ドライ技法で行くつもりなので、実際にニホンジカ(Cervus Nippon)を手がけるのが楽しみである。


尚、脳漿鞣し自体は、古くから日本でも行われていた。以下、既出だが、もう一度参考文献として以下を転載させて頂く。

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「大阪の部落史通信・38号(2006.03)」より転載

「・・・・考古学的な調査成果から平城京や平安京では、生活排水による汚濁が著しい京域南辺に斃牛馬処理工房が存在していたが、一〇世紀になると埋め立てられて宅地化し、そうした工人たちが鴨川のほとりに移住し、河原者と呼ばれるようになったことを指摘した。また、脳漿鞣しのための脳髄を取り出した馬の頭蓋が、五世紀の新羅の首都・慶州、七世紀の森の宮遺跡、八世紀の城山遺跡に出土例があり、これまで『日本書紀』仁賢紀にみえる、高句麗から新しい皮鞣しの技法を伝えた工人が、脳漿鞣しを伝え、その子孫らが奈良時代に「額田邑熟皮高麗(かわおしのこま)」として皮鞣しを行なっていたとされるが、新羅からも脳漿鞣しが伝播した可能性を示唆した。一方、斃牛馬処理や皮鞣しは必然的に水や空気の汚染を引き起こすことから、このような場所やそこで働く人びとがケガレと結びつけられるようになり、やがて差別が増長し、身分制の中で支配機構に組み込まれたと主張した。・・・・・」

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また、印伝もホルマリンに代わるまでは脳漿を使用していたということなので、やってやれない事は無いのだろう。ちなみに、印伝はウェットスクレイプ技法だったと聞いているが確かでは無い。




22:11:18 | hilo | |
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